<母と沖縄>テンペストのおさらい@首里城公園
やってきました。沖縄。
以前ブログで紹介した琉球王朝の歴史ファンタジー小説「テンペスト」を読んで、
もう一度首里城をきちんと見学したい!と2年前に誓い、やっと実現。
3泊4日の沖縄旅行の道連れは母依子。
もちろん、無理やり母にも「テンペスト」を読ませ一緒に首里城を満喫できるように仕込み済み。
今回は沖縄現地集合だったので母依子よりも早く到着してレンタカーの契約受け渡しやらなんやらを終え、空港に戻り母をピックアップし、さっそく首里城公園へ。
1枚目の写真は首里城公園のゴールである首里城正殿。
昔1度きたことがあるのですが、歴史なんぞ勉強してなかったので、
「中国っぽいお城だな」くらいしか覚えてませんでした。
やはりきちんと予習をすることで、価値やおもしろさが何十倍にもなります。
次の写真は展示エリアにあった首里城のジオラマ。
王朝時代はこのように正殿前の御庭(ウナー)に役人がずらっと並んでいたのだろうなぁ。
そういえば、テンペストでもこれを彷彿させるような場面がありました。
うーん、面白い。
下の写真は、たしか冊封使による国王の戴冠式だったはず。
手前中央に一人で立っているのが国王。
なんと上座に冊封使がえらそうに見下ろすという構図。
この時代、琉球は中国の冊封国であり、中国はもちろん、他の冊封国とゆるやかな同盟を結んでいました。なので、いちいち国王になるために、親国である、中国の皇帝(実際には皇帝の代わりの使者冊封使)から称号を授けられるというシステムのため、中国の冊封使の方が国王よりも偉い人と見なされていたわけです。
←こちらは国王の玉座。沖縄の言葉では「御座床(ウサスカー)」と言うそうな。
1階と2階とに玉座はありますが、2階のほうが豪華でした。
なんででしょ?
こちらは久慶門→
役人達の通用門です。
テンペストでもよく登場した門。ここで主人公寧温(ねいおん)を温かく見守る多嘉良のおじさんが門番をしていたんですねー。
←こちらは、守礼門。
そう、あの2000円札の絵柄になっている門です。
ちなみに登城の最初に現われる門です。
こちらは龍樋→
湧き水なのですが、水の出口が龍の彫刻でできているから龍樋と名づけられたのでしょうか。
中国からもたらされたものらしく、首里城のほとんどが火事や戦火で消失してしまったため復刻したものに対し、これだけが当時からの現物とのことで非常に貴重なアイテムだとか。
しかし、改めて思うと、沖縄はその昔「琉球王国」という独立した国だったんですよね。
中国の冊封国ではあったものの、きちんと国として認めてもらってました。
それを薩摩が軍事介入し、清の衰退をちゃっかり利用して、明治政府が「日本」としてしまいました。
独立国だったのに、強制的に侵略され、戦争では日本人として戦ったのに、沖縄にいた日本軍に沖縄語が通じなかったためスパイと見なされ殺された人も・・・。
戦後はアメリカに支配され、日本に返還されても、基地は沖縄に押し付けられたまま。
確かにあれだけのものをよいしょと移すのは難しいと思いますが、先日の普天間問題で、県外移設を各都道府県に募った会議では、出席さえしない知事もいたとか。
あのニュースを思い出すだけでも心が痛いです。
確かに基地が地元に来るのは誰でも嫌だと思いますが、今ある沖縄の人だって同じこと。
難しくても、打開策を考えるためのテーブルに着くくらいできないものなのか?
それくらいしてもばちはあたらないと思うけどなぁ。
こんな沖縄の問題を如実にあらわした小説があります。
山崎豊子の「運命の人」です。
第4巻は涙なくしては読めません。
日本人には全員読んでもらいたいものです。